水げんか

水げんか

■所在地佐賀市東与賀町
■年代近代
■登録ID1040

下飯盛とその南方に存在する中村や住吉、特に最南部に位置する大野とは堀水の流通問題で、たびたび争って喧嘩が繰り返された。堀水の流れる分岐点は、この村落の南部に懸った三つ橋で、この三つ橋(流れが非常に速い)を中心にして、昭和15年頃から40年にかけ毎年水喧嘩が続いた。
当時の故山田八郎村長の頃が一番ひどく大野の故横尾半次外有志の方々に随分と世話をかけた。その頃の農民としては、一番切実な問題はこの用水問題であり、堀・クリークの上流と下流に住む村落民の間に水利上の相反目は当然でもあった。そのために村役場としても相当の予算を組んで、堀の川さらえを各村落に奨励したが、年々と村内の堀・クリークは狭められ埋まっていった。しかしこの河川による水喧嘩も、水田に灌漑用の電気ポンプが完成以来完全に解消されて嬉しい限りである。この毎年毎年しかも何十年も続いた「水喧嘩」も時代と共に消え失せ、ただ想い出深い昔語りとして残るのみとなった。

出典:東与賀町史P1218