悟真寺

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■所在地佐賀市東与賀町大字飯盛161番地
■年代近世
■登録ID1226

【名称(山号)】飯盛山 悟真寺
【宗派】曹洞宗禅宗
【本寺】龍泰寺(佐賀市赤松町)
【創立年代】慶安4年(1651)後光明天皇、第5代将軍徳川綱吉の頃創建された。
【堂宇坪数】33坪 境内220坪 台所外30坪
【沿革】
古老の伝説によると、本寺の敷地土壌は八田江及び本庄江のあず(砂地)が沈積して高地となったので、新地を開拓するために下飯盛や大野村へ炊き出しをした。その際「飯を盛った」という事から「飯盛山」と名称し山号とした。その後代官所ができ、船の出入りを監督せしも、丸目干拓(佐賀市西与賀町)ができたので、代官所も丸目に移転した。従ってこの寺院の檀徒も丸目へ移住したらしい。
本寺龍泰寺9世玉宝寿礼大和尚、慶安4年(1651)悟真寺開山となる。並びに明治30年頃開田庵11世悟法実参大和尚佐賀県宗務所長高伝寺及び本山に参寺法地の願書を提出して、開田庵10世招学実應大和尚を悟真寺開山大和尚となし、自己の徒弟麟子霊堅大和尚を2世となしたるも約10年で埼玉県に転住す。よって徒弟の良契実証大和尚が3世となり、約50年後佐賀市中の館円蔵院に転住した。それで現在の良誕実雄大和尚は第4世となる。
昔は、現在のように気象庁が無かったので、海上で風害や水難に遭遇し幽魂となって祀られた者が多く、明暦3年より322年第4代将軍家綱、天皇(12代)になりその他檀家のものが死亡したため平侶地を建立された。
本寺は昭和47年3月22日火災のため、本尊観世音及び過去帳全部を焼失した。各檀家から御位牌の写しを借り集めて過去帳を整備補充した。火災の原因は不明だが、午後4時頃の出来事で、当日は不幸にも西風が強く、焼けた灰粉は遠く離れた東部の上古賀あたりまで飛んだ。火勢も強烈だったため、鉄製の半鐘も燃えただれ御堂庫裡等すべてが烏有に帰したのである。ただ一つ山門のみがポツンと残り当時の悲惨な情景を偲ばせる。この山門は明治初年の頃慶誾寺(佐賀市本庄町鹿の子)より寄贈されたものである。
【その他】
五輪の塔は、徳川初期のものと言われ、由緒は不明。
境内に日清戦争で戦死した水兵の碑がある。

出典:東与賀町史p1142

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