地蔵堂 (脚気地蔵) | さがの歴史・文化お宝帳

地蔵堂 (脚気地蔵)

所在地 佐賀市三瀬村山中
年代 中世
登録ID 1269

出典資料から記載

一、本尊 地蔵菩薩
一、由緒 室町時代の明徳4年(1393)に創祀された地蔵尊である。
 縁起書によれば、文永元年(1264)野田周防守清秀が当国に下向し、杉屋敷に露営ののち、改めて山中の地に宿館を構えて城主となり、同年9月三瀬山を掌領した。嫡男野田次郎大江房儀は当山中の地を去って宿に館を移し、河内峰の嶮に城郭を築いた。
その子野田三郎大江家房は、長谷山観音禪寺の宗師として禅門に入り、明徳4年に宗祖の霊位の大法要を営み、あわせて小城山大宮司賀村左京進源宗章と談じ合って、祖父のいた山中の館跡に一字の堂を建てて地蔵尊を安置し法要祭祀を行った。それ以後世人は山中地蔵尊と称し、領内領外の人々に知られ、ことに宗祖清秀公以降はもとより、神代氏を扶助するようになってからも、健却万里征戦に従った野田氏(後の三瀬氏)一門の功労を知る諸郷の民は、地蔵尊の霊威によるものと尊崇し、祈願をこめるものが多かった。降って享保9年(1724)甲辰 三瀬治部左衛門大江房成(数代前改姓)は老朽した堂宇を再修した。また、文政6年(1823)癸未 4月吉日に崇尊者高木氏胤(関所役人)は標道示塔を建立して寄進した。後世この地蔵尊を「脚気地蔵尊」とよぶようになった。いまでも脚気に効験ある地蔵様として県内外からの参詣者が絶えない。
一、堂宇 弐間に三間
一、境内 102坪 附属地山林5反3畝廿歩
一、境外所有地 
   田1反2拾2歩 字軽井谷
   地価 金7円51錢3厘
一、信徒人員 28人
出典:三瀬村史p743

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