水かぶいやんぼし
水かぶいやんぼし
■所在地佐賀市三瀬村
■年代近世
■登録ID1283
大正の初期頃まで〝水かぶいやんぼし″(山伏)を迎える風習があった。
地区の世話役から〝水かぶいやんぼし″がやって来るから、各家庭では用意をととのえておくように触(ふれ)がまわると、各家では、臼・たらい・水桶・こがえ(木製脚付の洗面器)・えつけ(柄の付いた手桶)などに水を満たして、表の庭先に出しておいた。
山伏はボーランギャア (ほら貝)を吹きならしながらやって来る。
新春は迎えたといっても、睦月(旧1月)・如月(旧2月)の寒気はまだ肌を劈くような厳しさであったが、褌1つの裸になった筋骨たくましい ″やんぼし〟(山伏)は、容器の大小をえらばず、その水を脳天から一気にふリかぶって、家から家へと次々に駆けまわった。ただ、水のはいった臼を頭の上にさしあげて水を浴びることのできる大力の 〝やんばし〟は見かけなかったという。
水かぶりの行が隈なく終わると、山伏は衣を身につけ、各家の門口に立って経を読み、布施をうけた。
これは、病気・凶事等の予言や、それらの退散を祈祷するという、英彦山修験道を実践する山伏たちの苦行で、この行をやってもらうと、その家は1年中無病息災であるといわれた。
正月行事は一応これで終わることになるが、神代家では15日正月・20日正月の行事も行なったことが記されている。
同15日
一向 香物 一汁 豆腐・鹿爪午蒡・こんぶ
かつお 漬わらび・豆・するめ
一粥
同廿日
一、鱠 大根 一汁見合 一酒
かつお
一、煮物魚 但くたけ石飯 一にしめ
一めし
右の記録からみると、きわめて簡素に行なわれたようである。
出典:三瀬村史p634