玉里神社 | さがの歴史・文化お宝帳

玉里神社

所在地 佐賀市三瀬村大字藤原994(井手野)
年代 中世
登録ID 1319

出典資料から記載

社号 玉里大明神・(別名)玉里七郎神
祭神 少名彦命・十城別王・神代勝利
神社境内の石碑には次のように刻まれている。
(表面) 祭神 十城別王
建永元年12月16日創建
距今713年
号 玉里七郎神 大正7年12月7日改築
(側面) 大正8年9月16日建碑
 なお、鳥居額には玉里大明神と刻まれている。
 鎌倉時代の建永元年(1206)の創建とあるが、口碑にはそれ以前にもっと上流の一谷に近い処にあったが、洪水山崩れにあい現在地に流れついたのでここに再建されたと伝えられている。
 祭神は十城別王だけになっているが、神社明細帳には祭神少名彦神と記されている。
 また、神社由緒調の当社々伝には
 祭神 神代勝俊
第83代土御門天皇建永元丙寅十二月当社ヲ創建シテ井手野村ヨリ具座村迄六十余戸ノ氏神トス。而シテ元ハ玉里神社卜号ス。
とある。神代勝俊とあるのは神代勝利のことであろう。しかし勝利は建永元年よりも300余年後の永正8年(1511)に生まれているので創建当時の祭神は神代勝利ではなかったわけで、神代勝利はずっと後に合祀きれた神である。このように民俗の信仰は時代の変遷とともに変わっているが、少名彦命・十城別壬・神代勝利という3柱の祭神が当神社に祀られたことはまちがいない。
 祭神の少名彦命は神産霊神の御子で、小人の姿で常世の国から訪れる神とされ、大国主命とともに協力して国土を造り治め、医薬・禁厭(まじない)などの法を創めたといわれている。はじめ郷民はこの神を守護神として祀ったのであろう。
 十城別王は日本武尊の御子といわれ、仲哀天皇の弟で神功皇后とは義姉弟の間柄である。王の事蹟は不明であるが、神功皇后の三韓征伐の折にはお伴をされ、皇后とともに当地にも巡回されたのではなかろうか。野波神社の由緒に皇后巡幸のことが記されているのでこのような推察もできるのである。
 第3の祭神、神代勝利については歴史篇に詳しいのでここでは省略するが、仁徳そなわる武将であったので祭神として仰がれることに何の不思議もない。
 中鶴部落の具座村から井手野村にかけては、現在でも地域の守護神として年々祭祀が営まれている。
出典:三瀬村史p717

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