伊保坂の水

伊保坂の水

■所在地佐賀市三瀬村
■年代近世
■登録ID1332

 三瀬村今原伝照寺裏にある旧道の坂を「伊保坂」という。この坂の路傍に滾々と湧きでる泉がある。この水を飲めば息切れがしないというので、昔、この村を通る飛脚はよくこの水を飲んだ。また、傷ついた小鳥はこの水を浴びて傷をなおしたとも言われ、「伊保坂の水」といえば三瀬3銘水の一つとして知らないものはなかった。
 幕末の頃、筑前の飯場に住む七兵衛という飛脚がいたが、七兵衛は往きも戻りも必ずここの水を飲むのを楽しみにしていた。そのためか、年をとっても人に負けない健脚の持主で、仲間の誰よりも多くの文便を運んでいた。ところが、ちょっとした風邪がもとで七兵衛は重い病気になってしまい、長の病床につく身となった。
 日が経つとともに病気が重くなる七兵衛は、久しく飲めないでいる伊保坂の水が恋しくてならなかった。何とかしてもう一度飲みたいと思って、隣家の甚吉という若い者に相談すると、甚吉は日頃世話になった重病人の願いをかなえてやろうと思い、足に自信はなかったが、その水を汲んで来てあげようと約束した。
 甚吉は早速行ってくるよと家を出たが、平素長途を歩いたことがなかったので、三瀬峠まで来ると疲れてしまい、路傍の石に腰を下して休んでいた。考えてみると、これからこの坂道を三瀬の方へ下って伊保坂という処まで行き、水を汲んでまたこちらへ登って来なければならない。こんなに疲れた足で、はたしてどうなることかと、先が思いやられて心もとなくなってしまった。
 しばらく考えていた甚助は一計を案じ、そうだ、この辺の水を汲んで帰り、伊保坂の水だと言えば、重病人の七兵衛さんにわかるはずはない。これは名案だと一人でうなずき、近くの泉をさがして水を汲み、伊保坂までの往復にかかる時間まで勘定に入れて、休み休み帰っていった。
 七兵衛の家に帰り着いた甚吉は、病床にある七兵衛に「伊保坂の水を汲んで来たよ」と言いながら、湯呑みに入れてさしだした。これは、これは、遠いところをありがとうと礼をいって、その水を一口飲んだ七兵衛は、大きなため息をついて、あーあ、おれはもうだめだ。伊保坂の水の味が峠の水の味としか思えなくなった。おれはもう、長い間楽しみにして飲んだこの伊保坂の水の味さえも、のみわけることができなくなってしまったわい。と嘆きながらぐったりと力を落し、病気は一そうひどくなったという。
 伊保坂の水は今でも湧き出て伝照寺境内、縁結び地蔵尊のほとりへ流れ下っている。

出典:三瀬村誌p.676〜677