面浮立

面浮立

■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1429

 横江・上新ヶ江地区で伝承されている。上新ヶ江の面浮立は、明治34、5年ごろに芦刈町東道免から伝承したものである。
 横江の面浮立は、口承によると、明治30年代の終わり、横江の某家に作男として住みこんでいた若者が、仕事を終えて夜になると笛を吹いていた。その音色の美しさに近くの人々が集まってくるようになった。若者はこれは自分の里に伝わる浮立というもので、田植えと収穫が終わった後に氏神に奉納するものであるといった。横江の人々は、くんちに奉納しようと若者から習い、明治38年の久保田くんちで奉納したのが、横江の面浮立の始まりと伝えられている。
 明治42年に20名分の鬼面を芦刈村弁財の面師に発注購入をし、更に後年鹿島より3名分の鬼面を購入するなど充実がはかられた。しかし、昭和になって支那事変、第2次世界大戦などで中断し、戦後、昭和25年にようやく復活をした。
 この頃までは、笛や大太鼓、鉦といった囃子方が十分でなかった。それで、横江の面浮立はどこの系統なのか調べた結果、長崎県高来町湯江が同系統とわかり、湯江に習得にいったリ、師匠を招いたりして、囃子方の稽古が続けられ、他地区の面浮立と遜色のないものとなった。4年毎に氏神社の八幡社や香椎神社で奉納している。
 構成は、宰領人 3〜5名 部落長および古老が責任者となる。
旗持ち・提灯持ち 各1名 旗、提灯を持って浮立の先導をする。浮立を踊る所の確認など、宰領人と連絡しながら進行する。
踊り子 20名から35名 鬼面をかぶりシャグマをつける。紺の法被に股引きをはく。法被には牡丹に唐獅子や鎖り鎌の模様がはいっている。腹部に締太鼓をつけ、手甲、脚半をし白足袋に草鞋をはく。
鉦打ち 5名以上
笛   3名以上 陣笠に羽織袴に足袋草履をはく。
大太鼓 3名

出典:久保田町史 p.587〜p.589