権現神社(権現さん)

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■所在地佐賀市開成二丁目
■登録ID1667

 開成二丁目の権現社の創建の年は定かではないが、ご神体に安永8年(1779)創建の記録があるところから推察すれば、享保12年創建の記録がある開成三丁目のお地蔵さんより以前の享保年間初期(1716)の頃に新村の創始者達により新村の鬼門の守神として祀られたものと推察される。
 昔、村内の若者たちが軍隊入営や太平洋戦争に出征する時には、村民総出で社前で盃を酌み交わし武運長久を祈り、社前より日の丸の小旗を振り軍歌を歌いながら鍋島駅まで見送りしていた。
 また、凱旋、退営の場合も村民と共に社前に額づき無事の帰還を報告していた。その後戦争が激しくなり、凱旋する者もなく終戦での報告会はなくなった。
 また、境内の北の堀端には直径1m以上、高さ約40mの松の大木があり、その天辺に太平洋戦争期間中、日の丸の旗が掲げられ、出征兵士の武運長久を祈って、はためいていた。
 当時は、見渡す限りの水田地帯で、遠くから日の丸の旗を見ることができ、鍋島駅からの出征の時には、遠く汽車の窓から見て涙したことが思い出される。
 昭和20年の終戦を期に日の丸の旗は降ろされ、また、松も昭和23年の台風と松食い虫により枯れてしまった。戦後の混乱期とはいえ何か手当てが無かったかと、悔やまれてならない。
 また、各家では鬼門(家の北東)の方に家の中央さんやお稲荷さん等の石仏を厄除けに祀る風習があった。近年は昔のような信仰心も薄れ、祀ることが大変で粗末に成るので、権現社の境内が神域ということで、大松の根元辺りに預けてお祀りしてあった。また、自分の屋敷内の大きな樹木を切る時には、その樹木の代わりに小さい木を境内に献木として植えて、自分の家の切る木の霊を慰めていた。

出典:開成かたりべ P74〜75

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