古賀穀堂の墓と静古館跡

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古賀穀堂の墓と静古館跡

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■所在地佐賀市金立町大字金立字大門
■登録ID1725

 古賀穀堂は安永7年(1778)寛政の三博士の一人である古賀精里の長男として佐賀城下西精町に生まれた。穀堂は幼年の頃より学問を父精里に学びその英才と識見を称揚せられ後年佐賀弘道館の教授に任ぜられた。文化14年(1817)父精里の逝去に遭い江戸に赴むいたが天保元年(1830)隠居により佐賀へ帰った。晩年この地に家塾として静古館を築いた。穀堂時に天保7年(1836)9月16日享年59歳で死去。遺骸を静古館の所に葬った。今は木や苔が繁茂し当時の遺構は何一つ残っていないが、ただ周辺の閑静なたたずまいだけが当時を偲ばせてくれる。
 金立町字大門、金立神社第二鳥居の在り所より道を東に進み5、60mで墓地に達する。 墓地は余り広い区域ではないが大檜樹の下に穀堂先生の墓を第一に左記の如く並んでいる。(其後檜は惜しいことに切りたおしてしまった)
 西側より東面するもの北より順に
 穀堂古賀先生の墓 燈篭が立ち其の北側には墓碑が立っている。
  良密儒人宮富民墓
琴友儒人江口氏墓
古賀坤嗣子蘭秀之墓
同  庶子蘭声之墓
古賀聰関儒人之墓
鳴呼儒子蘭玉之墓
東側より西面ずるもの南より順に
鍋島綾子之墓
素堂古賀先生之墓

出典:金立・久保泉地区文化財要覧p.11ふるさと金立(その2)p.5

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