千布浮立

千布浮立

■所在地佐賀市金立町千布
■登録ID1760

千布浮立は、江戸時代末期の大干魃の時に当時の千布村の西原家・堤家・早田家を中心に全村あげて雨乞いのために金立神社に奉納したのが始まりとされており、西原家・堤家・早田家が市川の浮立や大和の浮立を千布村に持ち込んだものと言われている。
その後代々に渡り毎年「白鬚権現神社」に五穀豊穣・家内安全・無病息災・豊かで平和な生活が出来たその報恩感謝の御礼として浮立の奉納をし、それが伝承されて今日至っている。
また、金立神社大祭の「お下り」「お上り」の先払い浮立としての伝統ある浮立でもある。
現在、大太鼓と天衝舞を担当されている堤・早田両家は代々施主として受け継がれている。西原家の子孫は現在こちらに住んでいないが白鬚権現神社の狛犬はこの西原家の子孫によって奉納されたものである。
天衝舞浮立は県内から長崎県にかけて広く分布している浮立で、頭にかぶる大きな冠には左右に日月が描かれていて、天衝、天突、天月と呼ぶところからこの名がつけられたと言われている。
市内神野の掘江神社の社記によれば室町末期、弘治2年(1556)に掘江神社の祠官であった山本玄蕃が始めたとある。従って、天衝舞浮立は「玄蕃一流浮立」とも呼ばれている。
厳粛な神事浮立を残す地区では、口を布で覆い、足の動きにも、大太鼓の打ち方にも厳格な方式を残している。また、浮立の途中にお祓いがあったり、祝言のお謡いをうたうのが特徴である。
千布浮立は舞の途中で祝言のお謡いをあげるのが特徴で、この様式は現在も代々引き継がれている。以前はお祓いもあったと聞いているが、現在は舞の前にお祓いを受けている。
浮立の奉納は、11月3日の文化の日に行われている。

出典:宗教法人、白鬚権現神社の規則や神社明細書