沖田の浸水

沖田の浸水

■所在地佐賀市金立町沖田
■登録ID1766

 沖田はなぜ浸水するのかと言うと彼の福島川は立派な堤防が続いているが下流、淵頭近くの沖田南部で堤防の影が消えている。之はここから大水の際は福島川の用水は勿論、平尾川の水、徳永川、巨勢川の川水迄が逆流して沖田に流れ込む工夫がされてあるので沖田は忽ち下の方から順次に海の様になる。これは、成富兵庫の水利工事以来の遊水池犠牲地となっている。どうしてこんな犠牲地を設けたかを古老の言に聞けば佐賀の大殿様の城下町佐賀ン町を水禍から守る為の一大妙策を殿様の御威勢にかけて建設した為で彼の沖田の南端に西から東に流れる所謂平尾川の南側の堤防は仲々念の入った堅固な物でめったに決潰せぬよう作り上げてあり、旧藩時代は大雨洪水毎に係の侍達を先頭に高木瀬以南の農民が懸命にこの堤防を守り抜いたとの事、こうして沖田の犠牲地は計画的運命的に出来た物である【こんな訳で旧藩時代は米も思う様に収穫出来ないので租税(上米)は特別に安く課せられていたが今は其の加減はない】
 こんな無茶な事をされて昔は泣く子と地頭には勝てぬと泣き寝入りしたが、自由民主主義の今日になって今尚不可杭カの宿命として諦めて居ることは、福島川を上流同様下流でも堤防を築き、巨勢川に直結して沖田に溢れる水も逆流する水も入れぬようにして、立派な耕地に改良することである。

出典:ふるさと金立p.9