香月経五郎

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香月経五郎

  • 香月経五郎

■所在地佐賀市高木瀬町
■年代近代
■登録ID1827

 佐賀戦争と共に忘れてならないのは、極楽寺にその墓がある香月経五郎のことである。
 香月は佐賀戦争に亞者(参謀格)として参加し江藤と共に処刑された。
 香月は嘉永2年(1849)早津江に生れ、藩校弘道館に入り非凡の秀才ぶりを発揮し、明治2年21才のとき東大の前身たる大学南校に入ったが、翌明治3年文部省の第一回海外留学生としてアメリカ、イギリスで勉強した。この留学も江藤の推薦によるものといわれた。
 明治4年、岩倉具視一行の遣外使節団がアメリカに向け出発した。佐賀藩主鍋島直大侯も同行したが香月が直大侯の案内役に当り、イギリスに渡り、直大侯と香月の2人は主從共共オックスフォード大学で勉強した。
 香月の専攻は経済学であったが、大学南校の同窓やその指導を受けた人々には、後の東大教授、法学博士田尻稲次郎、枢密顧問官男爵目賀田種太郎、同伯爵伊東巳代次などがあったから、若し命を保っていたなら、わが国の重要な人物になっていた人であろう。
 墓は極楽寺本堂の正面にあった。老坊守さんのお話によれば、先代坊守さんから、香月さんの死骸は首と胴を青竹でつないでここに埋めてあるといわれていたそうである。
 極楽寺には経五郎氏の甥の陸軍大佐 香月三郎氏の墓もあったが、納骨堂の新築と共に何れも他の場所へ移され、墓石のみが淋しく残っているのは、烈士のために痛恨の極みである。

出典:高木瀬町史P95