龍堀の話

龍堀の話

■所在地佐賀市高木瀬町辻
■登録ID1835

 浄蔭寺は元鍋島家の館であった。徳川初期には城を新しく造ることは禁止されていたので、館を寺とし、周囲に堀を巡らし、実は城郭としての役目を果たした。南北に大きな堀があり、また、東西にも堀を造ってあたかも龍が横にはっている形をしていたので、龍堀と言われていた。また、龍堀の伝説として次のようなことが伝えられていた。
昔この地に大きな龍巻が起こった。堀の水が空に吸い上げられて堀の水はからからになったが、その後には龍神の落と子の可愛らしい蛇が1匹残っていた。寺では龍神を慰むるため弁財天を祀った。この弁才天は宗像弁才天といい貞享2年(1685)の銘がある。この伝説は、羽立政雄氏が祖母から伝え聞かれた話という。
このような龍堀も、今や全て埋め立てられて、浄蔭寺南一帯はおおむね住宅地となり、龍堀の跡を想像することが出来ない。

出典:高木瀬町史  P327〜328