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お宝情報/カテゴリー別
お宝情報/地域別
■所在地佐賀市西与賀町 ■年代近世 ■登録ID199
慶長、正保、元禄の絵図には村名の記載がなく、慶長年間(1596〜1615)頃の海岸線と考えられる。その後の沖積と干拓とによって陸地化し、耕地化が進んだのである。相應津の東にあって戦国末期までは小津江の河口の潮待港の役割をもっていたと思われ、のち本庄江に沿った相應津にその役割を奪われ、内陸が水田化した。文化14年(1817)の郷村帳に与賀下郷元相應村とある。明治初年に高太郎村となり、のちに西与賀村となった。
出典:西与賀の歴史とその周辺p8