餅つき

餅つき

■所在地佐賀市川副町
■登録ID2008

 12月28日頃から数軒の家で結ってつき始めた。1軒の家の庭先でつくこともあるし、それぞれの家を回る場合もあった。各家では2俵もしくは3俵をつくのが普通で、滋養のある保存食料として重んぜられた。
 漁村では潮の関係で最近まで旧正月に年をとることが多かった。従って餅つきは、旧正月元旦の2、3日前に各家2俵程の餅を、チャーゴウチ(茶講内)でついた。
 餅は座敷をはじめ、神棚、仏壇、荒神、農具類、馬小屋、船などに供えた。荒神さんの餅は、最後の臼の餅、すなわち飾り餅をとった残りの餅で作るとされ、半円形(三日月町などではナマコ餅ともいう)にする。この餅は、「未婚の者が食べると縁遠い」「既婚の者が食べると実家へ戻る」などといわれる。
 餅つきの時には、子ども達が邪魔であったのか、大人達に命ぜられ近隣にホケマクイ(ホケマクイは架空のもので、子どもに命じて借りにやらせるものの実体はない)を借りにやらせられた。
 また、新しく嫁をもらった家では、嫁の実家に贈る餅をついた。この餅は一俵餅とも言われ、12月31日に鰤とともに届ける。大詫間では、この時は必ず仲人と餅かつぎ人を伴い、嫁は髯を結って行ったとされ、帰りには、一回り小さいカワリ餅(代わり餅)を持ち帰った。

出典:川副町誌P.751〜P.753