健福寺 | さがの歴史・文化お宝帳

健福寺

所在地 佐賀市大和町大字川上3881(大願寺)
年代 古代
登録ID 2109

出典資料から記載

大和町大願寺にある真手山健福寺は和銅年中(708~715)、僧行基が「元真手」山中に開基したといわれている。その真偽はともかくとして当寺が鎌倉時代初期に存在していたことはここにある銅鐘の銘によって明らかである。
 真言宗で本尊は千手観世音菩薩である。中世以前の健福寺は本尊は十一面観音菩薩で、現寺地より北方約2㎞、急峻な高台で、現在柑橘園になっているが、応永年間(1394~1428)作の「真手地蔵」がまつられ、散在していた古い墓石がこの後方に集められている。盛んであった頃七堂伽藍が立ち並んで「真手千坊」といわれた。元亀元年(1570)大友勢のため戦火に遭い、再び慶長元年(1596)大洪水に遭うなど雄大を誇っていた寺院も次第に荒廃して行った。寛永11年(1634)、実相院の座主であった尊純が当山に移り住み現地に再興した。本尊の千手観音はこの時の建立であるという。付近の経松経塚出土の滑石製経筒外筒(太宰府宝物殿蔵)等が健福寺に関係あるかどうか確かなことはわからない。
 ここ健福寺にある銅鐘は鎌倉時代初期の作で、大正2年(1913)8月20日国宝に指定され、昭和25年(1950)8月29日には重要文化財の指定を受けているものである。全高は84㎝、笠形までの高さは67.5㎝、口径47.5㎝で乳の間は四区に分れ、一区に十六乳ずつ鋳出されている。池の間には次の銘が陰刻されている。
 「肥前国山田西郷、真手山奉鋳洪鐘壱口、右且為令法久住、且為法界衆生、奉鋳洪鐘矣。建久七年丙辰十一月十九日甲午。満山大衆、定西、○秀、蓮生、永舜、長勢、良祐、聖舜。大檀那散位笠時貞、鋳師○末則、伴兼経、笠貞茂、源守直、平助国、伴季忠、藤原道宗、藤三郎。貫首藤原真保、伴兼信、酒井貞経」
 この銅鐘は中世当地方に山潮が出て遠く佐嘉まで流出し、一時龍泰寺に留められ、藩候時報として使われていたといわれている。鐘の肌は相当荒れており、やや音色が変わっているのは一部にひびが入っているためだといわれている。川上地区内の浄財寄付によって建設された鐘堂に安置されている。
出典:大和町史P154〜156

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