高城寺

高城寺

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■所在地佐賀市大和町大字久池井3625(春日)
■年代中世
■登録ID2113

本寺は文永7年(1270)鎌倉幕府執権北条時宗が敷地山林を寄進し、久池井の地頭国分次郎藤原忠俊(尊光)によって創建された。開山は順空、後の円鑑禅寺である。元弘3年(1333)後醍醐天皇より勅額や綸旨を賜り、以来、勅願寺として歴代朝廷の帰依も厚く、また鎌倉幕府の祈祷所としても尊ばれた。多くの寺領の田畑300余町(約300ha)を有し、塔頭などの伽藍が立ちならび、聖地として、また、肥前国内の名刹として有名であった。
正平7年(1352) さしもの輪奐の美を誇った堂宇も戦火のため焼く失し、その後、征西将軍懐良親王によって再建されたが、200年を経た永禄12年(1569)大友氏が佐賀を襲ったとき再び焼失した。
龍造寺氏のときになって、隆信公の崇敬をうけ、肥前国における臨済宗本山として、末寺も多く鍋島直茂公は寺地山林を寄進し、歴代藩主の祈願寺としてつづいたが、明治維新の廃仏毀釈により寺領を失い、衰退した。
また、本堂は平成3年(1991)当時の林静夫城徳寺住職(高城寺住職兼任)と檀家により発起され、14年の歳月を経て平成17年(2005)10月1日に落慶となった。檀家数は約20軒である。
なお、順空が東福寺上京の際に弟子たちが別れを惜しんで造立されたとされる蔵山順空像は国の重要文化財として、佐賀県立博物館に安置されている。

出典:春日山高城護国禅寺小史

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