男女神社

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■所在地佐賀市大和町大字久留間5109今山
■登録ID2127

 今山地区の入口に建っている大鳥居は男女神社の一の鳥居である。ここより北へ進み今山地区の中程を左折し、蜜柑園にはさまれただらだら坂を約600mほど登ると社前に着く。ここにたてば佐賀平野を眼下に見下し、遠く有明の海を隔てて雲仙の山々が望見される。社殿の直前には横穴式石室を有する小円墳が覆土のとれたまま横たわっている。
 男女神社の祭神はいざなぎ・いざなみの男女二神であるところから男女神社といわれている。
 元亀元年(1570)今山陣の兵火のため宝物、古文書も焼失しその創建年月は不明であるが、少くとも今より650年以前に創建されたとみてよい。
 700年の昔、建治年間(1275~1278)正空上人が光明寺(今は廃寺)を男女神社の南東に建て、子院末寺も建ち並んでこの一帯は仏教繁栄の霊地であった。このころは神仏習合(混淆)の時代で、光明寺の和尚が代々にわたって男女神社の座主として管理し、神座を勤めていた。元亀元年今山の陣の兵火で焼かれた後に再建され、棟銘に
 「奉再建肥前国佐賀郡今山村鎮守男女明神宝殿一宇大檀那従四位侍従鍋島信州大守藤原勝茂朝臣紀州大守藤原元茂朝臣座主光明寺宮司北野坊並堯仁坊金剛寺常善坊金蔵坊金蓮院氏子当村中並江隈野今古賀下村同心大工王孫谷口市郎兵ヱ義重小工若干人 干時承応三年午天仲冬上旬吉祥日」
とあり、承応3年(1654)、佐賀初代藩主鍋島勝茂と小城藩祖鍋島元茂の出資で再建したことが記されている。現在も大字久留間の氏子により春秋の例祭を行っている。

出典:大和町史P.535〜537

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