蚕神さん(実相院) | さがの歴史・文化お宝帳

蚕神さん(実相院)

所在地 佐賀市大和町大字川上947
登録ID 2194

出典資料から記載

 実相院の中門右手に大きな石像がある。女神の姿をしており、左手に繭を持ち、右手には絹糸の束を持って馬のそばに立っている。又、大久保にあるのは女神が馬に乗っている半身像で、大正15年に建立されたものであるが、これは「蚕神」とはっきり刻んである。
 蚕については、魏志の「倭人伝」に邪馬台国では「桑を植え、蚕を飼い、絹をつむぎ」と記しているので、我が国は古くから蚕を飼育したことは間違いない。養蚕は中国から伝わったものと考えられている。蚕神は馬とどういう関係があるだろうか。これについては安田徳太郎著「人間の歴史」4の中から要約すると次のとおりである。
 群馬県の養蚕地では、蚕室の壁や天井に「馬頭観世音」と書いた札をはってあったそうだが、そのいわれは「馬は跳ね上がるから、早くあがる(上簇)ようにカイコは午の日に掃き立てる」ということからきているという。しかし、これだけでははっきりしないが、中国の「図経」という本に
 『大昔、中国の「蜀」という国に一人の娘がいた。その娘の父が敵に捕えられて獄につながれたので、その妻が、夫を救い出した者を娘の婿にするとふれた。この時この家に飼っていた馬がこれを聞いて4,5日の後、夫を救い出して帰ってきた。そこで馬は約束どおり娘の婿になれると思っていたが、父は「これは人間が助けた時の話で、別に馬と約束したわけではない」といった。馬は気が狂ったようになり、家の中にあばれ込んだり、娘のたもとをかんだりするので、父は怒って馬を射殺し、その皮をはいで庭にさらしていた。するとどこからともなく一陣の風が吹き起こり、その皮が舞い出して、庭にいた娘を巻き込んで空高くとび上ってしまった。10日ばかりしてからその皮が飛んできて、庭の隅にあった桑の大木の枝にかかったかと思うと、その皮の中から一匹のカイコが出てきて桑の葉を食べ、やがて繭をはった。その糸をとって機にかけたところ、美事な絹織物ができあがった。ところがある日、その木の上で美しい音楽が聞えるので見上げると、そのカイコはいつの間にか元の娘の姿になり、例の馬にまたがり、前後に数10人の男女を従え、父母を見ながら「義を重んじて約束を忘れず、馬の望みに従ったので、自分は天帝のそばにいて天人の群に加えられた。どうか安心されたい。この度は御用を終わり天に帰るが、重ねて天下る時は、あまねく徳を施そう。」というやいなや天へ上ってしまった。夫婦はそれから馬のくれたカイコを飼って、蜀の人々に養蚕の技術を教えた。そして毎年カイコを飼う者が近所からおしかけて、この娘を崇めたが、後にはこの娘を像に刻んで、馬の皮を着せ、馬頭娘と名づけて、カイコの神とするようになった。』
 という伝説がのっている。この伝説はカイコや養蚕技術と共に、中国から古代日本に伝わってきて、日本ではこの馬頭娘が蚕神として、養蚕家の信仰となったのではないだろうか。
出典:大和町史P.563〜565

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