百万遍

百万遍

■所在地佐賀市大和町
■登録ID2282

 これは池上や久留間地区で行われている行事で県下でも数少ないもののひとつである。池上では毎年7月28日から8月28日までの約1か月にわたって行われるが、その間盆の3日間は休む。地区の65才以上の男女が氏神の天満宮に集まり、地区民の安全と五穀豊穣を祈願するものである。京都市にある知恩寺のことを俗に百万遍というが、この寺は僧円仁の創立と伝えられ、始め加茂明神の神宮寺で今出川にあり、一時法然が住んでいて加茂河原院とも呼ばれた。法然の弟子の源智がそのあとをついで知恩寺と改称し、以来源智門下の僧が住持していた。元弘元年(1331)8世の空円が百万遍の念仏を修めて悪疫をなおしたので、後醍醐天皇から百万遍の号を受けて勅願寺となった。寛文2年(1662)に今出川から今の京都市左京区田中門前町に移転した。毎年4月大珠数を百万遍回わす御忌回が行われている。
 池上地区の百万遍は永渕喜六氏・江頭繁六民らの話によると約150年以上前から続けられているという。1人が鉦を叩き、他の人は輪になって座り、1080個の珠のついた大珠数をひざの上に捧げ持ち「なむまいだいほう」と唱えながらゆっくり回す。珠数が1回りすると今度は少し早目に回し、もう1回ゆっくり回して1区切りとなり小休止する。珠数のつぎ目の房が自分の前にくるとその房をていねいに拝む。こうして1日に3回の祈願があり、休みの時は各小路から持ち寄ったお茶やお茶うけをいただきながら四方山話に花を咲かせたり囲碁や将棋等で楽しむ。本来珠数は印度のバラモン教で使用したものを大乗仏教に取り入れたもので、中国では隋・唐以後盛んに使用され広く仏教徒の間に用いられるようになった。一般に珠の数は108個とか、その半数の54個等であるが、これは除夜の鐘と同様に108の煩悩を断つことを表わしている。大珠数も恐らくこういう意味からそれを10倍して1080個にしたものであろう。
 午後5時ごろに1日の祈願を終わり、蜩の声を聞きながら家路に着く。1か月の祈願が終わると慰労会をし、来年の再会を約して解散する。
 また、久留間で行われているのも趣旨は同じだが、ここは年寄りの希望者約20名が地区の天神さんに集まり、毎年7月25日の天神祭りの日から8月7日までの2週間にわたり祈願する。
 中間に中仕上げといって村から西瓜などを出して慰労し、最終日は仕上げの日で夕食を共にして散会する。

出典:大和町史P.653〜655