今山焼

今山焼

■所在地佐賀市大和町
■登録ID2290

 大和町横馬場地区(当時は今山に含まれていた)の北方、小さい溪流を渡った柑橘園の地中から、無数の焼物台や築造窯の破片が発見された。この破片の一部が現在は石垣石の代用として積み上げられている。ここに窯が築かれたのは、横馬場裏山の山上に発見された今山石が焼物の主要原料に適したためであり、当時有田南川原の初代酒井田柿右衛門も使用したと伝えられている。
 「肥前陶史」によると、慶長3年(1598)鍋島直茂が多久長門守政頼(安順)に命じて韓人李参平にここで青磁を焼かせた……と記してある。今山焼は移り変わりがひどく、維新前にはほとんど衰微してしまったが、明治になって川上実相院の住職の斡旋によって、佐賀市本庄町在住の森伊作氏の出資を得て、窯元14人の組合を作り製造することになった。明治14、5年ごろまで7間(12.6m)の登窯が盛んに陶煙をあげていたが、その後再び衰微し、中には田地屋敷まで森伊作氏の所有に移ったものもあり、ついに全く廃窯となってしまった。
 ここで製作されたものは、丸型の三つ足付きの小さな香炉、染付山水絵六寸丼、水芦底絵ゆり縁の中皿、茶碗、鉢、花立等であり、香炉には腰裏に「肥前今山焼」の押印がある。古い製品には呉須を用いて柚色の見るべきものもあるが、後代の製品は皆コバルト色の日用品のみを焼いたと思われる。

出典:大和町史p.301〜302

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