山本常朝と大小隈 | さがの歴史・文化お宝帳
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尋ね入る深山のおくの奥よりも しづかなるべき 苔の下庵
虫の音の よわりはてぬるとばかりを かねてはよそに 聞きて過ぎしが
とあり、墓は佐賀市鍋島町八戸の龍雲寺にある。田代陣基は葉隠を脱稿した後再び祐筆役となり、寛延元年(1748)に年70歳で歿した。陣基の墓は佐賀市東田代町の瑞龍庵にある。
大小隈は今日通称「でゃーしょうぐま」と呼ばれていて、敷山神社跡より東北約300m余り、
大和町礫石の古川八太郎氏宅北方の柑橘園で、東を流れる小川(金立町との境)の傍らの柿の木も、庵跡に建っていた付け木(薄い板の両端に硫黄を塗り付け火をたきつける物)工場も、硫黄を砕いたと思われる水車も今はなくなって一面の密柑畑と化しているが、東に迫るような雑木山と清らかな小川のせせらぎは昔の面影をしのばせるものがある。