江副次郎・美子の墓

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江副次郎・美子の墓

■所在地佐賀市北川副町大字新郷751
■年代近代
■登録ID2347

大応寺境内には、江副次郎、美子二人の墓が八田江を背にしてひっそりと、寄り添うようにして建っている。
次郎さんは、元本庄の村長で佐賀郡の在郷軍人会長(海軍大佐)であった江副九郎さんの二男で早稲田大学高等学院卒業後、昭和11年4月入隊、その後中支江南の流洞橋の激戦に参加し惜しくも戦死をとげられた。
美子さんは井上作次郎さんの三女で、次郎さんとは従妹であり婚約をしていた仲であった。昭和13年4月13日に次郎さんの戦死を知った美子さんは、5通の遺書を残して4月15日に数珠を片手に、後を追って自殺をした。その顔は微笑さえ浮べて美しい死に顔だったそうである。昭和13年6月11日、次郎さんの遺骨が門司港に着き吾が家に無言の凱旋をした時、美子さんの遺骨も、江副家に迎え入れられ、14日村葬が行なわれた後、二人の魂結婚式が挙げられた。
美子さんは「長崎女人」に属する歌人で、遺書と共に8首の辞世の歌が残されて、全国から多くの同情が寄せられた。美子さんの遺作は、栗原荒野先生の紹介で、佐々木信綱博士の推敲のもとに、遺稿集『散りにし魂』が出版された。
美子さんの死は当時戯曲化され、東京の常盤座で上演されて全国的に話題になった。それから50年、今では語る人もなく、忘れ去られている。
「春深む江南の野に魂散りて 君は護国の神となります」
「春の夜は真深く更けてせきあぐる 己がなげきの泣く音きこゆ」
(『肥前おんな風土記、写本荘の歴史』より)

出典:わが郷土北川副町の歴史p124

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