古賀喜三郎

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古賀喜三郎

■所在地北川副
■登録ID2388

弘化元年(1844)に生まれ、大正3年(1914)に亡くなった、佐賀郡北川副村古賀に生まれた教育者。
父は、平尾吉左衛門、幼くして同村中野古賀家の養子となる。安政年間(1854〜1859)15歳で佐賀藩陸軍所に入り砲術を修め、技能優秀3年の後免許相傳を受け、長崎伊王島台場司令を命じられる。在任6ヶ月にして帰国し、維新に際し九條道孝に従い砲隊司令として奥羽征伐に参加した。平定の後大総督宮殿下から感状を賜り、後藩の兵術訓練部長に挙げられる。明治5年更に海軍兵学校幹事として奉職し、海軍中尉から少佐に進み、14年予備役仰せ付けられる。その後、海域学校の前身一貫舎を創立して専ら海軍軍人志望者の養成に努め、以来宅地家財及び恩給等全部を学校のために尽くし、32年4月には校舎を拡張して日比谷中学を創立する。39年同校を私立海城中学と改称。この間卒業生を出すと三千余名内海軍将校一千余名の多きに達した。墓は東京麻布の賢崇寺にある。

出典:佐賀幕末明治500人(福岡博編)