枝吉村(郷制以降)

枝吉村(郷制以降)

■所在地北川副
■登録ID2397

江上町と同じく、街道に沿った郷宿村で、佐賀の城内に近く、佐賀江の港今宿を控えて番所が設けられていた。天正12年(1584)、筑後出身の豪族田尻鑑種は、巨勢郷を中心に、200町歩の知行地を得た。そのうちの枝吉分として、徳田5町6反8畝、徳屋敷1反9畝、作田2反2畝を領している。後に鍋島に編入される。
明治になって、木原村に編入された。大正時代、今の枝吉団地のところに1周400mの草競馬場があって賑わっていた。また、この村に県立病院眼科部長をつとめられた高島眼科医院があり、打血の薬が有名である。

出典:わが郷土北川副町の歴史P52