副田先生顕彰之碑(筑後川渡船転覆)

  1. 建造物
  2. 検索結果
  3. 副田先生顕彰之碑(筑後川渡船転覆)

副田先生顕彰之碑(筑後川渡船転覆)

  • 副田先生顕彰之碑(筑後川渡船転覆)
  • 副田先生顕彰之碑(筑後川渡船転覆)
  • 副田先生顕彰之碑(筑後川渡船転覆)

■所在地佐賀市中館町1-39
■登録ID2443

 故副田訓導遭難殉職の状況
  昭和18年10月9日赤松国民学校第6学年男女233名(男125、女108)は、松(男)組を副田美代次訓導、竹(男)組古賀俊夫訓導、梅(男女)組古川幸男訓導、桜(女)組横尾たつ訓導、桃(女)組古瀬マサ訓導の5名にて引率し、福岡縣柳河町に修学旅行の帰途、午後2時頃若津より渡河、第1回に松組(男)49名、竹組(男)17名、他に乗客7、8名と共に乗船出発す。石塚渡場を距る20m深所2.5mの地点に差しかかるや、満潮と多人数の為動揺し船より浸水すると見るまに船は沈みつつ2回にわたり顚覆す。急を見るや附近の船、警防団員数名救助に駈けつく。顚覆と同時に大部分の児童は顚覆せる船体にすがりつき、警防団員救助人に救助せられ、或は泳ぎ渡りたるもあり。
 平素水泳錬達の副田美代次訓導は顚覆と見るや直ちに溺れんとする者の救助に当り、浮き沈みしつつある児童14、15名を岸近くまで「泣くな」と激励しつつ助け上げ、全身着衣の上に浪と戦い既に精魂つきたるも最後に「先生先生」と叫びつつすがりつく児童を救い流木にすがらせ、岸に押上げ、尚も流れ行く児童等を助けんと赴きしか身体の自由を失いしものか遂に水底深く姿を没せり。

出典:佐賀縣教育(昭和18年12月号:特集 鳴呼殉職副田訓導 「殉職顛末」より)

地図