多久家屋敷門(1棟)
多久家屋敷門(1棟)
■所在地佐賀市水ヶ江二丁目9―3
■登録ID2449
永禄5年(1562)に肥前第二次東西戦争で西軍(有馬・大村・多久連合)が敗れ、前多久家は滅亡した。その後、元亀元年(1570)龍造寺隆信の実弟・長信が多久を支配し,後多久が始まる。水ヶ江龍造寺氏とも別称される。
長信の嫡男・安順は多久姓を名乗り多久安順となるが、鍋島氏の藩政運営では佐賀藩筆頭家老として実質的には藩政を采配している。多久安順は、豊臣秀吉の世に朝鮮にも出兵し、李参平を連れ帰った。水ヶ江二丁目の枳小路にある本屋敷門は伝統的な武家屋敷門となっており、建築関係者によればこの屋敷門を建てるには、「家一軒分の費用がいる」いうことで、土台は総ヒノキの立派なものである。
出典:「肥前多久氏の事」多久幸雄氏著 フリー百科事典ウィキペディア