島義勇

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■所在地佐賀市(赤松)
■年代近世
■登録ID2486

文政5年(1822)9月12日に佐賀市与賀町精小路に生まれた。弘道館に入り、従兄枝吉神陽に学び、のちに江戸に出て佐藤一斎の門に入った。
藩主鍋島直正の命により、蝦夷や樺太を2年間探検し、直正が蝦夷開拓使長官になったときに同判事となり札幌市街の建設を行った。
明治7年に江藤新平と共に佐賀戦争を起こして敗れ、4月13日に佐賀で斬られた。53歳。

※『明和八年佐賀城下屋舗御帳扣』(2012年、鍋島報效会)によれば、島義勇の出生地は「西田代横 同小路南側 従東到西 六番」で、現在の佐賀市西田代にあたる。
※写真は佐賀城公園の島義勇之像

出典:佐賀幕末明治500人(福岡博編)