青面金剛刻像塔

青面金剛刻像塔

■所在地佐賀市
■登録ID2529

 60日に一度めぐってくる庚申の日、その夜を眠らずに過ごして健康長寿を願うのが庚申信仰である。庚申とは、十干十二支の組合せでできる六十干支のうちの一つで、年や月日を数えるのに用いられるものであり、すなわち庚申とは『庚申の日の信仰』ということである。 庚申信仰は、中国の道教信仰に基づくもので、日本では江戸時代に盛んになったが、今はあまり見かけられなくなっている。道教の教えというのは、『人の身中には、みな三尸(さんし)九虫の悪い虫が宿っている。この尸虫が庚申の日には昇天して、天帝にその人の罪科を告げて記録し、生命を縮めようとしている。道を学び不老不死を得ようと思う者は、まず三尸九虫を滅しなければならない。この三尸を制するのは、庚申の夜を眠らずに守り、天帝に罪を訴えることができないようにすることである。罪が、500条に満つると、その人は必ず死ぬ。三度庚申を守れば三尸は振伏し、七度庚申を守れば三尸を長絶する』ということである。 庚申の日は、講の人達は一日中身を慎み、悪いことを見てはいけない、悪いことを聞いてはいけない、悪いことを語ってはいけない、ということで『見ざる、聞かざる、言わざる』の三匹の猿が庚申塔に刻まれて、人々に注意をうながす。もしそれを破ると、口が曲がったり、目がつぶれるなどのたたりがあるといわれている。また庚申の日の夜に夫婦が交わることを固く禁じて、この晩に身ごもるとその子は、盗人になるなどと言われる。このように一晩中眠らずに、飲んだり、食べたり、語り合って過ごすことを『守庚申』(しゅこうしん)、とか『庚申待』(こうしんまち)といった。また庚申信仰が江戸時代に盛んになったのは、実は、庚申の神は一方で農業の神、養蚕の神、馬の守り神、漁業の神とされて、庶民の現世利益の『福の神』であったからであって、その後も庚申は、泥棒除けの神、火防の神など万能の神としてあがめられた。本覚院の『青面金剛』という明王は、中央部に邪鬼を踏む六手の青面金剛立像で、六手の持物は、左に三股叉、矢、宝棒、右に、一輪、弓、羂索、頭髪を逆立て両臑を現わしている。庚申塔が他の神仏と習合する例の中で、最も多いのは道祖神である。これは庚申の申(さる)と道祖神は猿田彦だなどという俗説に由来するものと思われる。このほか大日如来と庚申との習合や、地蔵尊と習合している場合もある。庚申塔は、往々寺院の境内に立つこともあるが、普通には路傍とか、三辻などに、そしてよく塞ノ神と仲よく並んでいることもある。こんな場合は大抵村の入り口などであって、疫病神の侵入を防ぐ役目を分担するものと思われる。そのついでに道標を兼ねていることもある。庚申塔の中には、庚申、猿田彦、青面金剛等と記された文字塔の他に青面金剛の図像を刻像塔としたものもある。  

出典:ふるさと循誘(P.109)