二十三夜塔

二十三夜塔

  • 二十三夜塔
  • 二十三夜塔
  • 二十三夜塔

■所在地佐賀市紺屋町、材木町の日天神社
■年代近世
■登録ID2531

 三夜待ち、六夜待ちともいうのは信仰的な講であったが、今では親睦的な寄合いになっている。本来、神のそばにいて共に夜を明かすことと考えられていたのが、月を待つことに変化していったものといわれている。三夜持ちは、毎月23日の夜、青年組、中老組、老人組に分かれて催す男の人達の講で、女子の二十三夜講は存在していないようである。二十三夜講塔には『二十三夜』と記されたものが最も普遍的であるが、他に『勢至菩薩』『大勢至菩薩』としたもの、『月読命』『月夜見命』『月弓尊』としたものや、更には『月天』と刻まれたのもある。 文字塔のほか、尊像や二十三夜月、あるいは瑞雲等を彫顕した『刻像塔』があるが、刻像塔の大部分が勢至菩薩像である。紺屋町の刻像塔は、文久2年(1862)の建立で、材木町の日天神社にあるのは、安政5年(1858)となっている。また、毎月の月待ち行事の他『お日持ち』があるが、これは毎月でなく年に一度行うところが多く、牛島町でもこの風習があり、この他鍋島町の蛎久では7月15日に、東脊振では、10月14日から15日に寄り合いをして酒をのみ、家々で餅つき料理を作ったりするようである。

出典:循誘史跡探訪歩こう会(P.12)

地図