島本良順

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島本良順

■所在地佐賀市
■年代近世
■登録ID2559

代々漢方医の家に生れ蓮池町に開業、寛政年間(1789年〜1801年)長崎にて蘭学を学び、佐賀に帰り(1804年〜1818年)蘭方医の看板を掲げ、一方では門弟に講義を始めた。文政5年(1822年)執行勘造(後の伊東玄朴)が長崎から帰った良順へ入門した。門弟には伊東玄朴をはじめ、金武良哲、大庭雪齊など多数の入門者があった。天保5年(1834年)佐賀藩医学寮が八幡小路に設けられ、最初は漢方を教えていたが良順が寮監となって初めて蘭学が加えられた。こののち鍋島直正の時初めて種痘が実施された。因みに安政5年(1858年)今の片田江に医学寮が移ったが、現在の好生館の始まりである。島本良順は人柄、学力ともに認められ蓮池藩の侍医に抜擢された。晩年は寂しく、報いられることなく嘉永元年(1848年)11月13日に病没し、呉服元町光明寺に葬られたが、のちに柳町専福寺に改葬された。

出典:ふるさと循誘(P.75)