検番と芸者くらべ

検番と芸者くらべ

■所在地佐賀市
■年代近代
■登録ID2570

 明治初期、佐賀市内の貸座敷密集地は上芦町と下今宿であった。明治16年(1883)佐賀県が再置されたが、時の県令(知事)鎌田景弼は「県庁の近くに遊郭があるのはけしからん。風紀が乱れ・・・」と言って廃止してしまった。しかしすぐ復活運動が始まり5年後には復活して以前を上回る繁栄ぶりであった。
 佐賀市に初めて芸者検番が店開きしたのは明治30年(1897)、この年佐賀自由(佐賀新聞社)新聞に「佐賀市に芸妓検番の無きはもの足らぬ心地すと さる粋さまも言われき。依って今般検番を設け、京阪その他より幾多の芸妓を集めて営業を始め・・・」という広告を対象としたユニークな企画を実施した。「佐賀県下芸者くらべ」というコンテストである。
 2月10日の社告で「本社当節左の趣向にて県下芸者くらべ投票を募集す。(中略)県下のあらゆる芸妓について、美中の美、粋中の粋、花中の花を撰り、世の粋士嫖客に紹介するも亦、本社の一粋ならめ。」と告知した。新聞に刷り込まれた投票用紙で投票する仕組み。大別嬪に純金の大指輪1個、未来の大別嬪にも純金の指輪。三味線や踊り、歌などの各部門で一位になった芸者にも象牙の三味線のバチといった豪華な賞品も用意された。明治らしいおおらかさが感じられるエピソードである。

出典:佐賀この100年(佐賀新聞社)