右近刑部

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右近刑部

■所在地佐賀市六座町
■登録ID2579

  慶長20年(1615)没
 佐賀城総普請に際して、初代藩主鍋島勝茂が、右近刑部を都会支配役にして、町造りを命じている。右近刑部は蛎久天満宮(佐賀市鍋島町蛎久) の社人で、菅原道真の子孫といわれる。町づくり支配を命ぜられた右近は、中元寺新右衛門とともに、慶長町、高木町、元町、白山町、岸川町、伊勢屋町、六座町、八戸町などの町々を造った。城下町完成後は藩主の意向によって町人となり、伊勢屋町に旅人宿を営んでいた。
 『葉隠』の中に、「右近刑部は歴々にて候を、御約束にて町人に召成され、伊勢屋町にて旅人宿仕り候様に仰付けられ候、刑部死後、栖竜院へ刑部菩提のために、勝茂様より御知行御付けなされ候」とある。刑部の墓は、鍋島町蛎久の栖竜院に残っており、六座町に右近刑部屋敷跡がある。

出典:日新読本p.170