大木喬任

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大木喬任

■所在地佐賀市(日新)
■登録ID2581

  天保3年(1832)〜明治32年(1899)
 佐賀藩士大木知喬の長子として佐賀城下赤松町に生まれる。通称幡六、のち民平と改めた。15歳で弘道館に入学、義祭同盟に参加する。32歳で学館指南役を命ぜられた。明治元年(1868)4月、江藤新平と連名で江戸遷都を岩倉具視に建白した。参与となり12月東京府の知事に任命された。民部卿、文部卿、司法卿を歴任、3回にわたる文部大臣として学制・学校令・教育勅語などの教育体制の整備に尽力した。元老院、枢密院両議長を歴任し、明治国家の確立に努力した。常に開明的な立場から圧迫をうけながらも終始儒教主義をとおした。生涯を通して誠実、廉潔を性格の持主で、また篤学の人であった。
 維新佐賀の七賢人の一人。

※出生地について『明和八年佐賀城下屋舗御帳扣』(2012年、鍋島報效会)によれば、「片田江北より六番横小路南側従西到東 五番」とあり、現在の佐賀市水ヶ江二丁目、枳小路で生まれている。

出典:日新読本p.174〜175