新栄・開成校区が鍋島校区から分離された経緯

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新栄・開成校区が鍋島校区から分離された経緯

■所在地佐賀市鍋島町
■登録ID2716

・昭和44年9月  八戸南部地区の一部が新栄と変更された。
・昭和46年12月  八戸溝地区の八戸川以東が神園に変更された。
・昭和48年4月 八戸、坂井、深町地区が新栄校区へ移動し、児童も新栄小学校に転入することになった。
         八戸溝地区の鍋島第1団地・医大宿舎は鍋島小学校と新栄小学校の自由選択地区となった。
        また、八戸溝地区の児童は新栄小学校へ通学し、自治会は鍋島校区という変則的な形になった。
・昭和53年3月  八戸溝地区の八戸川以西が八戸溝の新町名に変更になった。
・平成2年4月   開成小学校が新設された。
         新村、江頭、角目の一部地区と八戸溝地区を栴檀橋から環状線道路の線で分割され、
        鍋島団地、西佐賀団地、江頭団地の児童は開成小学校へ通学することになった。
         また、当時の自治会は、新村、江頭、鍋島団地、西佐賀団地、江頭団地の5自治会となった。
・平成2年11月  新村地区、医大宿舎周辺地区が開成1~6丁目と地名変更になった。
・平成5年4月   市立開成公民館が開館した。

出典:地域の人の説明