春日神社

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■所在地佐賀市富士町大字麻那古681
■年代古代
■登録ID2722

祭神 天照大神 武甕棺命 經津主命 田凝姫命 国常立尊 国狭槌尊 児屋根命 大山祇命 保食神 新田義貞
 桓武天皇の延暦12年(793)9月21日の勧請で、当社は麻那古村の内字月越に鎮座、麻那古大明神と唱えていたが、永禄7年(1564)仝村の長老今坂美作村民と相謀って、村内の中央の現地に奉遷し、社号を春日神社と称した。明治6年村社となる。祭神田凝姫命外五柱の神は無格社合祀により追加された。
 麻那古春日神社境内の狛犬の台座には、献納・麻那古・中原氏子中、明治三十三年四月と刻まれており、これからしても麻那古の内だったと言うことではないだろうか。
 しかし、これが大野区の春日神社へ氏子代わりをしていて何時代わったのか定かではないが、大野春日神社の狛犬の台座には御即位記念として、奉献者に岩井俊平・陣内味不味・嘉村美津羅・藤田實・原口善太郎・杵島惣平の氏名が、また灯籠の台座にも同じく大野の人と共に刻まれていて、大正四年十一月十日とある。拝殿内の奉献されている絵馬の1つに中原区の人と名前と大正2年の記入がある。これからすると、明治の終わり頃には氏子代わりができていたのではなかろうか。嘉村美津羅氏は、若くして郡会議員・村長・県議会議員となられ又再度、村長(大正8年〜昭和4年)をされるなど職見も政治力もあった方で、この時代に代わったと思われる。これは明治になって、枝村から離れ大字中原となったことや、麻那古へ峠を越えての参詣など大変であったことなどからではなかったかと思われる。嘉村美津羅氏が手腕を発揮して相談された結果、氏子代わりが出来たようである。

出典:富士町史下p.391〜p.392、p.772

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