無量寿山 西淨寺 | さがの歴史・文化お宝帳

無量寿山 西淨寺

所在地 佐賀市富士町大字古場49
年代 現代
登録ID 2750

出典資料から記載

 宗派 浄土真宗本願寺派
由緒 播磨守護赤松則村以来播州白旗城に拠って中国一円に威を振っていた赤松氏の一族の上月氏から出た吉浦越後守は、深く世の無常を達観して出家発心、法名を信海と改め、天文11年(1542) 3月、上無津呂に一宇を建立した。時あたかも戦国争乱で、神代勝利、長良父子は、筑前高祖城主原田種直、同了栄と、筑後の草野太郎が遣わした助勢の筑前、筑後の連合軍の来攻をうけ、退却して、上無津呂でおびただしい戦死者を出し、策略をもって神代父子は辛うじて命拾いをしたが、その弔いについて、当時同地に慶蔵庵という寺があって、住職は雷山千如寺を兼務して多忙の故に、葬儀叶わず、信海は右戦没者を一所に集めて合同葬を営んだ。それで神代氏の認むるところとなり、戦没者菩提のため、毎年13石給付、7月13日を定例に怠りなく法要を営み、血脈相承して13世寂黙代、山崩れのため寺堂つぶれ、久しく無住であった淨覚寺(古場)へ移住。現住代、昭和19年両寺門従合議の上、本堂建立、昭和28年貢1月23日、淨覚寺と三王山西光寺とを合寺して、無量寿山西淨寺と号した。初代は西光寺正倫現住職である。廃寺(合併)となった三王山西光寺(上無津呂)は神代勝利が僧信海に命じて一宇をつくらせた寺。
 開基 信海 第2世 教信 第3世 龍法 第4世 智秀 第5世 祐岸 第6世 廓道 第7世 廓芳 第8世 廓長 同廃寺(合併)となった無量山淨覚寺(古場)は寛文年中(1661〜73)法縁のため当地移住、
   歴代住職は第1世浄圓 第2世敬了 第3世数信 第4世 智海 第5世 俊応 第6世 俊嶺 第7世 紹隆
出典:富士町史下p.406〜p.407

地図

関連情報

総合検索
サイト内検索

ご利用案内
comodo ssl