中原遺跡 | さがの歴史・文化お宝帳

中原遺跡

所在地 佐賀市富士町大字中原
登録ID 2787

出典資料から記載

 春日神社から中原公園一帯にかけて中原遺跡(県遺跡台帳・昭和29年) (佐賀県の遺跡・昭和53年~昭和57年)とされているが、これは大正末期に大串の右近杏葉氏によって調査され報告されたものを基に遺跡とされたものである。
 右近氏は大正15年6月の北山公論に「有史以前の北山」を発表されているが、この中で明治10年頃大串の三崎原で石斧4個が見つかっている。これは崩れた田圃の修復工事中に見つけられたもので、田中袈裟一氏が保管されていたもの。右近氏は3個の石斧を京都帝大の考古学者浜田耕作氏に送って鑑定を請うたところ、貴重な資料であるので、詳しく調べるために、5年間の約束で寄託されたということだが、5年後北山に戻ってきたかどうか、また調査の結果はどうであったかについては詳らかではない。また上無津呂の長野峠の道路工事中(大正12年頃)に石斧が発見され、右近氏自身も春日神社境内裏手から石鏃を発見している。春日神社裏の杉の杜からは昭和34年、松石恵市君(当時小6で大野小ケ倉)も黒燿石の石鏃を発見している。
森永マサノさん(中原森の下)も昭和35年頃、お宮裏手の梅峠へ行く道脇の、昔からヤカッドコ(館所)と言われている付近の畑から、石鏃(黒燿石)十数個発見されている。(これは平成5年の火事の折残念をがら消失)ヤカッドコには、以前10軒以上も家があったそうだが、江戸時代末期に長崎から伝染してきたと言われるコレラに罹患し全滅したという。
 ヤカッドコの地にあった家々が全滅したのは、文政5年(1822)か安政5年(1858)のいずれかの流行によるものである。
 平成6年県教育委員会文化財課による公園裏北側の発掘調査では、旧い時代の遺物は発見されていない。
 平成7年の栗並遺跡の発掘調査では、縄文式土器の数片が発掘されている。これらの石斧や石鏃は縄文時代以前の石器時代のものであるということであり、これからするとこの地中原一帯には、定住以前の狩猟や採集しながら移動生活をした石器時代や、仏文時代に古代人(前10000~前300)の往来があっていたことの証左である。
(黒燿石は伊万里腰岳産出のもので阿蘇地方のものより上質とのこと)
出典:富士町史p.766〜p.767

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