上無津呂の祭り | さがの歴史・文化お宝帳

上無津呂の祭り

所在地 佐賀市富士町上無津呂
登録ID 2821

出典資料から記載

 正親町天皇の永禄4年(1561)、戦国武将神代勝利公長男父子兵を率いて川上に陣し、龍造寺氏と戦い、敗れてこの地に走り来て救いを求めた。社人嘉村大和守舎種が神代父子を社内に匿し俄に村人を集めて大祭の熊をして神楽を奏して居た。追兵が来て探索したが見付ける事が出来ず怒って火を放ったので社務所と文書等はその時に焼失したが社殿には及ばないで神代父子は無事に難をのがれる事が出来た。追兵が退いて後、神恩の大である事を謝して即座に佩刀二振を奉った。その時のお祭りが今なお続けられている。毎年8月17日夜に余興が取り行われ、以前は青年男女が自作自演の芝居や舞踊をしていたが、今ではプロの芸人を雇って続けている。尚当神社の秋季大祭も10月7日に行われ、この大祭は礼儀作法を取り入れた厳格な祭として知られている。神社のお供物も12、3品目供え宮総代、区長他代表が玉串を受ける。一般の参拝者は外からお参りする。約1時間余りで終わるのでその御拝殿の中で児童生徒達が神楽を奉納する。この神楽も長い間とだえていたが7、8年前から復活し続けられている。後は酒宴の座に向う。亭主前は落合い、相尾、上浦、宇土、刄金、神楽谷の順で行われている。当番の古賀は3、4軒の座を用意し、本座、特別座、次座とし本座の客は宮代、神官、区長となっている。特別座は神社に寄付した者、次座は一般の客、尚一軒の家には5、6人でまかない、見張人、相伴人、酒をつぐ人と役付けされる。お客が席に着いた所で相伴人が挨拶を終ったところで、客の人数がわかっていても何名であるかを聞きその人数だけのお酒を客の前に出し、相伴人持分のお酒を出し一緒にしていただく様お願いした上で、「おかん」を付けたが良いが、冷酒のままで良いかを問い質し、どちらか決まった上で両親を待つ子供「男女」が床柱に向かって左右にお酒をつぎまわす。それが済めば愈々酒宴がはじめられる。その間を見て区長が各座へ挨拶回りのため席をはずす。次に本座の主人も挨拶回り、お膳の品は7品目いずれも寸法が決められお頭付き魚は1尺以上である。規則を破ればことわり酒がいる。他に見られない厳格な祭りである。しかし最近では人手不足もあって本座だけを個人の家で行い、ほかの座は公民館で一緒に行うよう改正されている。
出典:富士町史下p.826〜p.827

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