郭沫若 | さがの歴史・文化お宝帳

郭沫若

所在地 佐賀市富士町
登録ID 2840

出典資料から記載

 中国の詩人 〔1892−1978〕
 中国の科学院長、元副総理の郭沫若が、熊の川温泉に滞在していたのは、大正13年9月30日からで、前年、九州帝国大学医学部を卒業して、福岡市の箱崎に偶居していたが、当時は日本人が中国人を蔑視していたためがまんが出来ず、妻子5人で人里離れたこの熊の川温泉へ逃避して来たのである。
 郭沫若が青木書店から発刊した郭沫若作品集の下巻に、私小説ともいわれている「行路難」の下篇に熊の川一帯をこう描写している。
 「夕日が川上川の川面に照っていた。澄んだ清々しい流れがきらきらと輝く白い石の間から歓呼の声をあげて、湧き立っていた。青翠の寒林、まっかなまんじゅしゃげ、黄金色の柿のある両岸の高い山も、一進一退して人に向かってうなずき微笑しているように思われるのだった。」以下省略する。
 郭沫若一家5人が投宿していたのは「新屋旅館」で部屋代は1日6円であったが、長期滞在は旅館代が嵩むので、隣家の斎藤太吉氏方の二階を間借りすることにして転居した。
 主人は斎藤芳男氏と夫人のヒサ様で、2人共養子と養女であった、と述べてある。
 ここでマルクスの研究に没頭して、同年末に中国に帰国している。
 昭和41年4月、全世界を驚かした文化大革命で燕山夜話など一連の夜話3題を書き、真っ先に自己批判をやってのけた郭沫若であった。在日中の夫人は、日本人佐藤とみ(中国名安那)である。
出典:富士町史下p.246〜p.247

関連情報

総合検索
サイト内検索

ご利用案内
comodo ssl