八段麒一郎

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八段麒一郎

■所在地佐賀市富士町
■登録ID2852

  大正3年〜昭和47年(1914〜1972年)国家公務員
 大正3年、旧北山村大串にて出生。北山小学校から小城中学校、旧制佐賀高等学校、東京帝国大学文学部を卒業、成績優秀につき恩賜の銀時計拝受。大学院にて西洋史学を研究する。大学院修了後、参謀本部嘱託、文部省民族研究所、総理府情報局等に勤務し、内閣総理大臣官房参事官兼内閣審議官等を歴任する。
 学生時代から健康には恵まれず兵役に服していなかったため、北山小校庭にて簡閲点呼を受けた折、簡閲官(退役の大佐位の階級)からお前達は多数の将兵が戦地で戦っているのに、内地にいては国家の役に立たぬ、と罵声を浴びせた。八段は激怒して、「ノルマンディー上陸作戦をドイツ語で説明しましょうか」と反論した。
 簡閲官は驚いて、「お前は何処に勤めているか」と問うた。八段は「僕は大本営に勤めて参謀達にドイツ語を教えています」と答えた。簡閲官は暴言を取り消した。という逸話が残っている。
 在職中の功績により、勲四等瑞宝章を授与されている。昭和47年5月4日病没、享年58歳。

出典:富士町史下p.335〜p.336