陣内味不味

  1. 人物
  2. 人物
  3. 検索結果
  4. 陣内味不味

陣内味不味

■所在地佐賀市富士町
■登録ID2877

   元治元年~昭和7年(1864~1932年)医師・軍医・校医
 元治元年(1864年)小城郡旧北山村中原に生まれ、伯父である大野区長上滝空蝉の私塾に学ぶ。後、熊本医学校に学び同校を卒業し、上京して医療に従事する。明治20年代に佐賀に帰り、大串、東松浦郡相知(現相知町)、古湯、大野で開業、明治44年中原(現在の富士町公民館の所在地)に開業して名医の評判高く、佐賀市や唐津市等からも患者が来た。「医は仁術」を実践し、貧しい者からは薬代も取らなかったので信望も厚かった。北山小学校の校医を25年にわたって勤めた。なお村議会議員も3回当選して村政・教育・文化、医療等各分野にわたり社会の発展に寄与した。この間、陸軍軍医として、日露戦争及び第一次世界大戦に従軍、青島攻略戦に参加している。陸軍二等軍医中尉として活躍された功績により、従七位・勲五等旭日章の栄誉に輝いている。
 先生は特に詩歌を能くし、「環翠」と号して「北山公論」(古賀次郎氏発行)に投稿毎号漢詩を掲載されている。昭和7年5月7日永眠す。享年68歳。

出典:富士町史下p.354〜p.355