久保田環

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久保田環

■所在地佐賀市富士町
■登録ID2885

   明治33年~昭和39年(1900~1964年)医師
 明治33年8月14日、旧北山村下無津呂にて出生。大正13年3月長崎医学専門学校卒業。15年同医大助手を勤め、昭和5年2月医学博士の学位を取得。7年3月、長崎市出島町に産婦人科病院を開業。19年に唐津市に移転開業していたため、長崎の原子爆弾による被爆を免れた。原子爆弾による白血病と闘った「この子を残して」外多数の著書を残した永井博士との交遊は深く、久保田病院には多数の永井博士の書簡が残されている。
 博士は若くして父親に死別しておられたため母親の手によって学資が調達され高等教育を受けておられるので、母親に対する感謝の気持ちは特に強く、「母」の著書が目を引く、冒頭の写真は、「母」の執筆中のものである。また博士は愛郷心強く、故郷北山の発展のため北山村議会議員としても活躍した。
 昭和39年10月26日逝去。享年64歳。

出典:富士町史下p.360