古賀彦次郎

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古賀彦次郎

■所在地佐賀市富士町
■登録ID2888

明治22年~昭和24年(1889~1949年) 団体役員
 明治22年5月30日旧北山村下無津呂にて出生。旧制唐津中学校を卒業し、旧佐賀師範学校を卒業し3年間教鞭を取る。更に上京して早稲田大学に入学したが制服が制定されたためこれを嫌い国学院大学文学部国史学科に転校、大正5年7月同校を卒業す。卒業後、東京市にて就職していたが脚気病のため帰省す。
 帰省後は、北山金融株式会社、北山自動車株式会社、北山村利用組合(発電事業)に参画し村内各事業に役員として活躍す。産業組合(現農協の前身)が創立されるや専務理事に就任、同時に村農会の副会長を兼務し、北山村議会議員も3期12年間に亘って村政発展のため寄与している。
 特筆すべきは、大正14年6月10日創刊号を発刊し、以来昭和14年10月10日紙不足のため廃刊するまで15年間に亘って、村内情報紙「北山公論」を毎月編集発行したことである。
 当時は、新聞も一部の有識者のみが購読していた時代であったので、「北山公論」は、唯一の村内情報紙で、毎月1000部位印刷されて、村内各家庭はもとより、県外にて活躍中の知名士にも送付されていたようである。
 この「北山公論」が、富士町史執筆に当っては多大の資料源となったことは大変有難く、15年間に亘って掲載された県外在住の知名士の消息、村内の各種情報、敵地だより、政党論争に至るまで様々の情報に、村内外の愛読者に刺激を与えてくれたことは山村における文化の灯であった。
 編集子の彦次郎は、昭和24年8月25日病没。享年60歳であった。

出典:富士町史下p.365〜p.366