丸山遺跡

丸山遺跡

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■所在地佐賀市久保泉町
■年代古代
■登録ID2923

 丸山遺跡は金立山南麓より平野部に突出した丘陵上にあり調査前は雑木林であった。当地周辺は戦後蜜柑園として造成された為、多くの古墳が何らかの破壊をうけていたのに較べ、幸にも旧来の姿を残していた。
 調査は昭和52年1月から昭和57年10月まで断続的に実施され、縄文時代晩期〜弥生時代前期(約2200〜2400年前)の墓と5・6世紀の古墳群などが発見された。
 縄文時代のものには甕棺(3基)、支石基(130余基)、石棺(3基)があり、遺構の内部及びその周辺から、水稲耕作を裏付ける籾痕のある土器や石器等多数出土した。
 古墳は10基あり、そのすべてが径4〜14mの円墳であるが、内部主体には竪穴式石室、横穴式石室、舟形石棺などがあり変化に富む。古墳からの出土遺物としては土器をはじめとして、鉄製品(剣・刀子・鏇・鉾・釧・斧・鏃等)や石製品(小玉・管玉・勾玉・琴柱形石製品)がある。
 このように丸山遺跡では墳墓形式や出土品に多種多様なものがあり、極めて学問的に高い価値をもつ複合遺跡ということができる。
 丸山遺跡は九州横断自動車道の建設予定地内に存在していたので、その保存に関して論議を呼んでいたが遺跡の西方約500mに移転されることになり、野外博物館的施設として活用されることになった。
 昭和58年2月22日には、舟形石棺を形どったタイムカプセルが公募の品を入れて、3号墳内に納められた。

出典:金立・久保泉地区文化財要覧p.8〜9

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