横落水道

横落水道

■所在地佐賀市久保泉町
■登録ID2950

 旧神埼町西部を流れる城原川の水が、仁比山の八子から西へ分かれて下和泉まで約6kmの直線水路がある。この水路を横落水道又は横路川と言う。
 この水路は、城原川右岸から下和泉へかけての灌漑用水路で、成富兵庫が指揮したともいうが、川久保の邑主神代の采配があった。この取入口を三千石井樋または単に三千石と言うのは、この付近の大字竹以西が神代家の配分地でありながら、水が無くて荒れていたので、年貢4000石の負担が苦しく、3000石と称していたためである。当時神代氏は鍋島氏の親類藩として1万石の石高を与えられていたが、この付近では3千石が水路や神代氏の代名詞となっていた。
 もともと城原川は、小渕(大字的)で、東西に分かれていたが、一の井手(通称あらこう)で東の流れをせき止め本流1本になし、下流の八子に石堰を築き西へ落した。
 この水道の川浚えは、毎年5月上旬の八十八夜前後に行なわれ、城原八子・川寄・野寄・柏原・利田・伏部・尾崎東分・尾崎西分・大字下和泉の関係田持が『横落公役』として出夫し、各村の庄屋が引率し延べ700人が参加。代官所が監督していたと伝える。
 受益面積は、もと412町であったが今は狭くなりつつある。
 横落水利組合の水利慣行は、動かすことのできない鉄則として守られていた。
 負担金の率も地区によって異なっていた。

出典:久保泉町史跡等ガイドブックp.20〜21