蓮池と平氏1

蓮池と平氏1

■所在地佐賀市蓮池町
■年代古代
■登録ID342

下って平安朝の末期、平氏最盛期の頃、土肥左衛門尉宗綱という人が蓮池の押領使として任命されている。土肥はもと山辺氏で武蔵にいたが、のち相模国土肥に移り地名をもって姓とした。平重盛に仕えその家人となっている。
宗綱が蓮池に居た期間は判明しないが、その子家綱は四国土佐国高岡に押領使として派遣され、平治の乱後平氏の命を受けて土佐冠者源希義(義朝四男)を殺し、功に因って土佐国を賜わり蓮池城を築き定住した。『吾妻鏡』に「寿永元年(1182)小松内府の家人蓮池権頭家綱等、土佐冠者源希義を殺す。」との記事がある。家綱の後裔はさらに大平と改姓したようで『土佐遺語』に「蓮池城は大平氏13代伝領せり。大平氏は吾妻鏡にいう権頭家綱の後なり。」とあるのをみても知られる。土肥氏が蓮池押領使として来任したことを考えると、当時蓮池は相当知名の地であったものと想像される。

出典:芙蓉P.61