蓮池藩第2代鍋島(攝津守)直之

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蓮池藩第2代鍋島(攝津守)直之

■所在地佐賀市蓮池町
■年代近世
■登録ID368

在位43年(1665〜1708)
初代藩主直澄の嫡男、24歳で藩主となった。
蓮池藩は小城、鹿島の各藩とともに幕府からは諸侯として認められていたが、本藩の直参と支藩、その他の家中の身分の呼び方でしばしば紛争があり、天和元年には将軍への献上物のことについて本藩から直之が責められ鶴田九右衛門という人が責を負って自殺する事件があったりした。天和3年佐賀藩に「三家格式」が出来て本藩と支藩の間に主従関係が確立し紛争は一応落着をみた。元禄12年2月、蓮池藩は初めて勅使接待役の命を受け、また、宝永元年には江戸城垣修繕工事を命ぜられるなどした事から藩財政は次第に苦しくなり、久間の山林を伐採売却するほか藩士の出米を求めるなどして費用を賄ったことが記録されている。このほか、直之は直澄を祀るため塩田吉浦に祠を建立したのをはじめ北名に八幡神社を建立、小松神社の再建、寺院では神埼町の真教寺、東西の龍津寺を建立などした。享保10年4月28日83歳で没した。

出典:芙蓉P.72