蓮池藩第8代鍋島(攝津守)直與(なおとも)

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蓮池藩第8代鍋島(攝津守)直與(なおとも)

■所在地佐賀市蓮池町
■年代近世
■登録ID374

在位29年(1816~1845)
直温の養嗣子、19歳で蓮池藩主となる。寛政・享保時代藩財政の窮乏から藩治が弛緩していたことを嘆いた公は藩主になるとともに理財のことに意を注いだため数年ならずして財務情況は好転しはじめ、文政10年には藩士給禄の部割を減らし、諸礼式等を享和以前に戻すことが出来た。また、官吏を督励して文武を勧奨する一方、信賞必罰を徹底したため藩風は大いに引締った。弘化2年嫡子直紀に家督を譲り、東館の近傍数町の地を游園にして天賜園と名付け、また、塩田から大石を運ばせて天賜園に建て自ら詩十律を書いて彫らせた。これが雲菴道人帰田之碑である。いまは蓮池公園の中に移し替えられている。
直紀に家督を譲ったあとも時勢の動きをよく読みとり直紀を助けて防備のため武備を拡張し、大砲数十門を鋳造した。これに要した銅鉄は領内に厳命して所在の梵鐘、士民の什器を徴収するなどした。
直與はまた和漢の書を好み、詩文書から歌音楽までよくした。その自ら著したものは次のようなものである。
「朝聞日鈔 思草 金石堂誌稿」「夜読偶鈔 雑抄 天賜園製薬誌」「真名鏡 印書 精選百家声巧」「佛蘭察誌 臨書帖 弓箭大双紙」「書画帖 志迺婦草 柳暗花明村舎詩」「推敲録 医書抜録 欧罹巴諸図」「左傳抜録」「歌集」「古風抄稿 金石堂臨末帖」

出典:芙蓉P.75