成富椿屋

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成富椿屋

■所在地佐賀市蓮池町
■年代近世
■登録ID381

成富鵬といい、旧蓮池藩士。初め画を佐賀の中島藍皐に学び、書を大徳寺の僧鉄翁及び、のち画を木下逸雲に学ぶ。さらに長崎に遊び南宋画を修めた。
有田にも滞在して陶画の下絵、絵手本などを多く残している。明治33年皇太子殿下佐賀市行啓の時、御前において松鶴の画を揮毫した。墓は蓮池の淨国寺にある。
また、淨国寺が火災で焼失しその再建の時、檀家であった椿屋は、その資金捻出のために絵を寄進した。淨国寺ではその絵を売って建設資金としたため蓮池の分限者が買い求めた。○円椿屋と呼ばれ町内にも数点残されていると思われる。
北名では成富椿屋の屋敷を成富屋敷と呼んでいた。
絵師として名高い椿屋さんを彷彿とさせる。

出典:ワークショップ故里よ永久にp89佐賀幕末明治500人p122